珍品 真作『オリジナル浮世絵版画額「鹿児島勇婦揃」』西南戦争大判錦絵 3枚続 鹿児島女子隊 美人画 木版画 明治期 薩摩 西郷隆盛 村田新八

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サイズは、額87×45.5×厚さ2㎝、マット73×37.5㎝です。本歌保証品 薩軍の諸将の妻が戦う姿が描かれた大変面白い作品です。 画題:鹿児島勇婦揃(かごしまゆうふぞろひ) 判型:大判錦絵3枚続 画工:楊洲斎周延(橋本直義)/楊洲斎周延・印 版元:東京・井上茂兵衛 届日:明治10年8月23日 登場人物: 篠原国幹妻、村田新八妻、別府新助妻、池上四郎妻、永山矢一郎妻 西郷隆盛妻、桐野利秋妻、河野四郎娘、伊集院重成母絲子、辺見十郎太妻、篠原娘国女、渕辺高照妻 明治期のものですので、時代なりの傷みはあるかと思いますが、保存状態が非常に良く、大きなダメージは見受けられません。大変珍品の作品です。資料館に展示されていたものです。 西南戦争女子隊 西南戦争の戦況は、当時の新聞や新聞記事をもとに制作された錦絵を通してリアルタイムに庶民へと伝えられました。やがて記者が従軍するようになり西南戦争の新聞報道が過熱すると、錦絵の人気も高まりました。それとともに多くの浮世絵師が、自身の想像を加えた虚構の女子隊の姿を錦絵に描きました。 当時の新聞には、薩軍の婦女子が薙刀を携えて戦地に奔走したこと(『郵便報知新聞』明治10年3月29日付)や、女性兵士の数は1000人ほどに及び、その中には西郷隆盛の妻娘もいたこと(『東京曙新聞』明治10年4月4日付)など、女子隊に関する記事が散見されますが、歴史的な裏付けはなくその存在は史実とはみなされていません。実際はどうだったのでしょうか。。 楊洲 周延(ようしゅう ちかのぶ、〈1838年9月26日〉 - 〈1912年〉9月29日) 江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。作画期は幕末動乱期の混乱を挟みつつも文久頃から明治40年(1907年)頃までの約45年に及び、美人画に優れ3枚続の風俗画を得意とした。 歌川国芳、三代歌川豊国及び豊原国周の門人。姓は橋本、通称は作太郎、諱は直義。楊洲、楊洲斎、一鶴斎と号す。 越後国高田藩(現新潟県上越市)江戸詰の下級藩士である橋本弥八郎直恕の長男として生まれる。周延は、幼い頃に天然痘にかかりあばた顔だったため写真嫌いで、亡くなった時も写真は1枚も無かったという。 嘉永5年(1852年)15歳で国芳に絵を学んで、芳鶴(2代目)を名乗る。 文久元年(1861年)国芳が没すると三代目豊国につき、二代目歌川芳鶴、一鶴斎芳鶴と称して浮世絵師となった。さらに豊国が元治元年(1864年)12月に亡くなると、豊国門下の豊原国周に転じて周延と号した。 神木隊士として、慶応元年(1865年)、幕府の第二次長州征討に従軍し、行軍する藩士らの様子を「長州征討行軍図」で色彩豊かに描いている。   井上 茂兵衛(いのうえ もへえ、生没年不詳) 明治時代中後期から大正時代にかけての東京の地本問屋。 伊勢屋、伊勢茂と号す。明治10年(1877年)には大伝馬町一丁目十四、明治23年(1890年)には馬喰町三丁目で営業していた。明治28年(1895年)から明治33年(1900年)まで東京地本彫画営業組合の組合長を務める。主に三代目歌川広重、山崎年信、楊洲周延、月岡芳年、朝華楼芳照(永島春暁)、歌川国利、井上探景らの錦絵などを出版している。

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